真夏の列島横断旅 序 (災害と原発事故と世界によせて)

 
◆ 序 ◆

先月も少し述べたことではありますが、
ドルメンズweb日記やtwitterのほうで、震災・原発のことも含めて色々なことを書いています

状況は、大局的にみて快方に向かっているとは言いがたく、
それなのに相変わらず世間の大部分は淀んでいます
(そうじゃない世間もあり、完全な絶望というわけではないものの)

この期に及んでは「人は、本質的な部分から変わらねばならない」というのが所感です
「あるべき本道に、立ち帰っていく」
「余分な物を削いでいく」
「浮き足立たないように」
様々な言い方ができるかと思いますが、相当に難しいことなのかもしれません
やってやれんことはないとは思うんですが


 ~

さて、この銀テツ(ドルメンズ銀河鉄道キハ2000)は、
これまでどおりの内容で進めていくつもりで、
実際その通りにして、ここまでやってきました

ところが、これから数回にわたってお届けするシリーズは、そうもいきません

時間軸の設定は2010年8月下旬
数日間で、日本各地を列車で旅してきました
主として甲信越~東北を廻ってきました
福島にも行きました
相馬や浪江を、通過してきました

当時は、まさか今みたいな状況になるなんてことは、思ってもいなかった
常磐線を乗りとおすことだって、そのときになんとなくで選択したことだ



 ~


話しはすこし横にそれますが、
<文章が持つ役割>について、どんな考えをお持ちでしょうか?

文章には、「何かを表現すること」といった側面もありますが、
いちばんは「記録すること」ではないでしょうか?
象形文字や楔形文字の頃から、現在に至るまで、
文章は(基本的には)そうやって育ってきたものではないかな

詩や小説は、文章それ自身で表現になっているものかもしれない
だが、「表現すべきもとのもと」「表現のたましい」とでもいうべきものを、
記すための手段として文章なり音楽なり絵なり舞踏なりがあるとすれば、
詩や小説において扱われる文章は、「表現のたましい」の記録という行為のために捧げられるものに他ならない


とにかく、まがりなりにも文章を扱っているからには、
記録すべき者としての意識は持っておきたいのです



 ~


長くなったが、これで最後です

これから「真夏の列島横断旅」シリーズをお送りするにあたっては、
「その風景の中を、間違いなく通りすぎてきた、生きてきた証(あかし)としての記録」
という意味を込めて、決意を持って、記していこうと考えています

ズタズタになってしまった土地、空気、線路、海、人の心
世界
元通りになるためには、一体どれぐらいの「時間」が必要なのか

災害・原発事故が起こる前の写真を見返してみると、いたたまれない気持ちになる
本当にやりきれない

しかし、目を見開いて、
世界を――淀んでいたりほころんでいたとしても――見据えなければいけない
2010年8月の、その瞬間に、生きていた風景を、文章と写真を持って、
忘れえぬ記録として残すこと


いささかおこがましいのかも知れないけれど、そういうことをやってみようと思っています




(次回から本編)

 
 
 
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by dolmens | 2011-09-30 00:47 | ◆ 音楽と僕ラ (メイン) | Comments(0)  

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